昨日(7月2日)、久しぶりに日本経営学会関西部会で報告の機会をいただいた。
ここ最近、ちょっと考えていた「企業とは、どのような存在か」をコジオール学派の諸理論を再構成することでアプローチしてみようというテーマ。
まだまだ掘り下げないといけないところも多々あって、フロアの先生方からいろいろとコメントや質問を頂戴した。コメンテーターを務めてくださった田中照純先生(立命館大学、ご本人は退職した身だから「無職」とおっしゃるが…)からも、いろいろと論点や質問を提示いただいた。
やはり、「価値とは何か」という問題がクリアになっていないのが、今回の報告の最大の弱点だと思う。自分自身、考えてはいるものの、まったくクリアになっていない。今回の報告の出発点であるコジオールの場合は、会計(計算制度)を基礎にして議論を展開しているので、
価値=数量×価格
と、わかりやすい。しかも、収支的価値という観点に立脚するから、明確に実現した貨幣の出入りの額として記述される。
ただ、問題は、「評価」である。ましてや、コジオール自身が経済財のひとつとして含み入れていた「顧客グループ」や「基幹従業員」との関係や、「企業の名声・評判」といった、現在でいうところの「知的資産」をどのように評価するのかという問題が浮上する。
このあたり、会計学の領分なのだろうけれども、経営学にとっても無視できない問題だと思う。時間はかかるだろうけれども、じっくり考えてみたい。
ただ、そもそも「価値」というのはきわめて主観性をもつものだと思う。そのあたりの点の論理をクリアにしないと…。
それと、もう一つは「価値創造過程」の実態を、もっとクリアにすること。これも難題だとは思う。でも、ここをちゃんとやらないと、いろんな課題もクリアにならない。それに関する質問もいただいた。正直なところ、しどろもどろなお答えしかできなかったと思う。
実際は、企業によって個々に違うだろうから、共通モデルを理論的に描き出せるのかどうかも課題だろうし、そもそも研究自体が細分化・専門化の度合を深めている状況で、果たして共通的なモデルを描き出すことが可能なのかどうかも問題だろう。
かといって、放置しておいていいわけではない。難儀だが、追々考えてみたい。
その他にも、いろいろとありがたいコメントをいただくことができた。できるかぎり、これからの研究に活かしていきたいと考えています。ほんとうにありがとうございます。