この役者の進化は,いったいどこまで続くのか―近藤乾之助『高野物狂』(2011.10.08)―

近藤乾之助『高野物狂』(2011.10.09:宝生会月並能,宝生能楽堂) 

シテ:近藤乾之助  子方:水上 達  ワキ:宝生 閑  アイ:大蔵教義 

笛:藤田朝太郎  小鼓:曽和正博  大鼓:亀井 実

地頭:亀井保雄  地謡:田崎隆三,小倉敏克,佐野由於ほか4名

 

 病のため,しばらく休養を余儀なくされていた乾之助さん(ちなみに83歳)の久しぶりの能。夏ごろから仕舞や一調などで舞台復帰はされていたものの(私は観る機会を得なかった),本格的な能は今回が病後初めて。正直なところ,不安のほうが大きかったのだが,予想以上のすばらしい舞台で,観能後の第一印象というか第一感想は「この人,すげぇ」。

 

 段熨斗目に素袍の長袴に掛絡を着けて,前シテの出。前場,声こそまず出ていたものの,やや不安定に震えもあったように思う。それでも,文ノ段での緩急強弱とか,「必ず 必ず」の間に少し心持を含めるあたりなど,鍛えられたコトバの遣いようがすごい。ちょっと,ハシッたような感じもしなくもなかったけど…。また,文ノ段の最後の和歌で数句すっ飛ばしてしまうなど,失錯もあった。とはいえ,前場中入前「今は散り行く」と立ち,「花守の頼む木陰も嵐吹く」にて幕方向を見遣りながら大鼓前へ進み,ゆったりと体を正面に向けるように体を使いながら辺りを見回し,常座で正を向いて「行くへはいづく雲水の」,さらに前場のキリで「知らぬ道にぞ出でにける」と橋掛カリ向いて中入する一連は,いつもながら空間把捉の見事さ。同じように型をやっても,なかなか他の人では,こうはいかない。乾之助さんの場合,腰がしっかり定まっているというのはもちろんなのだが,それとともに上半身の締まり具合が半端ではない。当然,がっちがちに固まっているというのではなくて,後でも触れるが,一つ一つの型の扱いはけっこうやわらかいのに,その軸というのか,内側で支える筋肉というのか,そういったものがしっかりとしているというのを感じることがある。

 

 さて,華やかめに囃す次第で子方を先立てて,ワキの出。変に位取りするような僧ワキではないので,さらりめの次第謡。それが一級品であるのが凄い。そのあと一声の囃子で後シテの出。一ノ松でヨセイして一セイの謡。物狂の態であるがゆえに,少しカカッて。囃子の音に少しかき消されたのか,ややところどころで一セイ謡がおぼろげで聞き取りにくいところもあったが,徐々にペースを取り戻し,カケリからは気魄も充実。声量も直面ということももちろんあるが,いつもよりも張った感じに聴こえた。

 

 カケリの後の「誘はれし。花の行くへを尋ねつゝ」の謡も,重くれずかつ狂うた感じで趣にぴったり。「風狂じたる」で踏んだ拍子も力強い(もちろん,大音響というのではない)。何より,後場の最初に印象的だったのは,続く「肌身に添ふる此文を」と文をつけた笹(右手に持つ)を体にそっと寄せ,左手を添える所作。中世日本を知るうえで,主従関係が時として“男色”としての性質を持つことは,見落とせない点である。稚児信仰や美少年への執心は,当時としてはふつうに採りあげられうる素材である。ここでの所作は高師四郎と平松春満の関係性を象徴するに,すごくぴったりだった。

 

  • 現代的な意味でのゲイやら同性愛とは,おそらく意味合いが大きく異なるだろう。現代のゲイやら同性愛の世界を知らない(し,別に知りたくない)ので,想像でしかないが。

 

 以下,高野への道中の一連も所作もしっかり決まり,物狂の遊興性と高野山という聖地性が相俟って,「三鈷の松の下に立ち寄りて休まん」と目付に据えられた松の作リ物の前で笹を落とし,安座するまでの充実。それをワキに見咎められて,「げによく御覧ぜられて候。これは放下にて候」と面は下を向いたままゆっくりと目はあわさずにワキにアシライ,さらに咎められて逃れるように,笹を持って立ち常座に行く一連,そこから続くワキとの問答も緊迫して見応え聴き応え十分。下居してのクリ・サシからクセとなって「然れば即身成仏の相をあらはし」と立って,「深山鴉の声さびて」と面を左右に使いながら,正中辺りで右足を少し引き,体を半身にして「飛花落葉の嵐風まで」と下を見遣るようにする所作も,今さらながらやはり空間把捉の巧さ凄さ。さらに進んで「谷峯の風常楽の夢さめ」と正中から正先辺りで開いた扇を指スように出した姿も佳い。そして,呼吸が途切れずに中ノ舞へ。さらさらと舞いながら,遊興と法悦が入り交じったようなおもしろさ。舞アトもすばらしく「花壇場月傳法院」以下の充実はもう絶佳。上ゲ扇やその他,基本所作の組み合わせとはいえ,それが一つのつながりになることで,情景を鮮やかに描き出すというのが,やはり能のおもしろさであり,それを抑制された所作によって鮮烈に現出できるのが,近藤乾之助という役者の魅力の所以の一つだろうと思う。

 

 キリで子方の声を聴き,「不思議やな」と気づいて,ちょっと急くように声をかけ,さらに正中まで駆け寄って下居,そしてシテ・ワキ・子方の掛合があって,「主君に逢ふぞ嬉しき」と居立って礼をなし,子方をすっと抱きかかえるような一瞬があって,子方を橋掛カリへ。そして常座で留拍子。  この曲は,以前にも華寶会で観たが,そのときよりも充実していたのではないかとさえ思った。身体は確実に老いつつある。しかし,今まで鍛え上げてきた蓄積と,老いをいかにしてカバーするのかという工夫とが相俟って,今回の舞台が生まれ出たのではないか。今回,囃子はあまり宜しきを得たとはいいがたい配役,地謡はここ最近のこの流儀に期待するほうが無理という状況ながら(私が,この流儀を観始めたころでさえ,もっと迫力や底力があったように思う),そして今回も決してすばらしいとはいえないけれども,シテを盛り立てるということに徹して,場面に応じた謡振りであったように思う。ちなみに,今日の後シテの水衣の色は,鈍い紺色であった。

 

 個人的に,『春栄』や『高野物狂』や『盛久』のような曲もけっこう好きなので,ついほろっときてしまうこともあるのだが,今回は“ほろっ”どころか“うるっ”となってしまった。やっぱり,この役者はすごい。

 

 

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