ここは,山縣ゼミ第1期(2009.4~2011.3)のページです。
※ 2011年3月27日付のmixiに書いた日記を転載します。
卒業おめでとう。
いうまでもなく,君たちは私が近大に移ってきて初めてのゼミ生だ。
2009年の1月24日,何の面識もない私のゼミに,どういう理由があってか応募してきてくれた。その数25名(その後しばらくして+1名&-1名という変動はあったが)。
前任校で6年勤めたとはいえ,1からのスタートであることには変わりない。正直,手探りで進めていったのは事実だ。
しかも,3.5次募集。他の先生たちに聞くと,「1期生は脱落していく学生が多かった」と。前任校でゼミ選考というものが存在しなかったので(→全体の学生人数が少なすぎて),ちょうど25人も来てくれてホッとしたのが正直なところだった。と同時に,今はなき長瀬駅前のマクドで経営学部と思しき学生が「内定もらえたし,ゼミやめよっかな~」とか言うているのを聞いて,ますます「卒業まで,脱落せずにいてくれるだろうか」と不安に襲われたのを今も憶えている。
にもかかわらず,ほとんど脱落するメンバーはいなかった。もちろん8単位のデカさというのもあったのかもしれない。それでも,ほぼ全員が卒論を書いて提出し,口頭試問もくぐり抜けた。
ゼミ合宿にも行けた。おバカな2人が勝手に川下(川上?)に遊びに行って選挙カーに送ってもらったことも,Kつらゼミの徹夜呑みに巻き込まれて,私までエライことになってしまったのも懐かしい。
十分なことができたかどうか,いくぶん忸怩たる念も残る。
しかし,君らが第1期生であったことは,私にとって幸いだった。そして,君らがいたからこそ,先日の追いコンがありえたのだ。これは疑いない事実だ。
ちょうど追いコンの日,大震災が起きた。おそらく,みんなそれぞれにいろんな想いを抱いたであろうと思う。被災した人の姿を見て涙し,また何かできることはないか,何か力になれることはないかと思ったとすれば,どうかその心を忘れないように。
譲り合いや助け合いといった美しい言葉は,時として偽善ともなる。
にもかかわらず,縁もゆかりもない人がつらい状況に置かれているのを見て,そこに思いを致すということ,何か力になろうと思い,また行動すること。これは人間の本性の一つだと思う。
人間は,究極的には自ら考え,判断・決断し,行動しなければならない。他人のせいにして生きていくことはできない。しかし,同時に,人間は単独で生きていくことができない存在でもある。そのことは,おそらく大学生活までの20数年間で何がしか経験したことであろう。
自律(or自立)して生きるということ,そして協力して生きるということ。一見すると矛盾しているように思えるかもしれない。これから,その矛盾にさいなまれることがあるかもしれない。しかし,その矛盾こそが,人間として生きていくことに他ならないと思う。
「強くなければ,生きていけない。優しくなければ,生きている価値がない」(レイモンド・チャンドラーの小説の一節)
どうか,しっかりと生きていってほしい。
そして,いつか死ぬ時に「いい人生だった」と思えるような生き方をしてほしい。
たまにでもいい。また顔を見せてくれ。
どうか元気で。また会おう。
山縣正幸
みんな研究室まで来てくれてありがとう。
また会える日を楽しみにしています。